Review Vol.10 Hi Ya Ya 夏の日」

※reviewの加筆文は、最後に書いています。



Vocal review Vol.10 「Hi Ya Ya 夏の日」
2005.6.23 3rd Single 発売
作詞  ぺ・ファヨン
作曲  Loberg Bjonar / Engmark Havid / Nilsen Alf gunnar


Vocal reviewも今回で10回目になりました。
今回は、再び韓国へ戻ります。これからしばらくは、JJと一緒に私達は、日本と韓国を行ったり来たりすることになりますね。

この曲は、カバー曲で原曲が Don Kenneth Ramage の ゛Perfect Tragedy ”という曲だそうです。原曲は、ちょっと聞いてみましたが、雰囲気が違いますね。

彼らの曲は、結構カバーしている曲も多くあります。
後半に出るMIROTICの中のJJソロ曲「Forgotten Season(忘れられた季節)」もそうです。
彼が歌うと全く違った世界が見えてきます。
この曲もそうですね…

実は、この曲を選んで実際に聞いてから後悔しました。
なぜなら、皆さんもお分かりだと思いますが、JJは、殆んど歌っていません。
4人が次々とソロを歌う中、JJだけが外されています。

日本での彼の活躍、彼の実力を知る私達は、「何故?」という疑問しか浮かびませんが、実はこれは、彼の韓国でのポジションを明確に表している曲のひとつです。

後期においてこそ、彼は韓国での曲の中でリードヴォーカルを取る事がありましたが、それでも日本の楽曲に比べると到底少ないと考えられます。

デビュー当初から、彼の歌声はSMの方針もあって、ひた隠しに隠されていました。
SMの方針の中に彼は、「神秘的なイメージ・クールな美しさ」というポジションがあり、歌手としてのポジションは求めていなかったと思われる節があります。

ですから、この曲でも彼がソロを歌う部分でかろうじて彼の声と認識できる部分は、前半の1フレーズと最後の1フレーズのみです。
あとは、歌っているのだかいないのだか…仮に歌っていたとしても一言歌うだけ…
そういう状態ですね…
SMが、メンバーの中の誰を重用し、どういうコンセプトで売ろうとしていたのかよくわかる曲です。

JJが日本にもし来ていなかったら…
彼はどのような歌手になっていたのでしょう…
おそらくもっとハスキーでどちらかといえばパンチの利いた歌を歌う歌手になっていたかもしれません。


韓国の方には申し訳ないけれども、私は音楽を専門にしてきて多くの歌手の声を聞いてきた経験から、彼が日本語の歌と出会わなければ、今の彼の歌声はなかったと思います。
彼が自分自身で語るように、「日本語の歌との出会い」が彼の声に与えた影響は計り知れません。


発声ポジションは、言語の種類に大きく左右されます。
何度も書きましたが、韓国語の発声ポジションと日本語のそれとでは明らかに違います。
けれども多くの韓国人歌手は、韓国語の発声ポジションで日本語を歌います。
ですから言葉が不明瞭だったり、喉に負担をかけて歌ったりすることになります。

でも彼は、日本語だけでなく、どの種類の言語に対しても正確に発音しようとします。
言葉を正確に伝えようとすることと、自分が出しやすい発声ポジションで歌う事とは、相反することが多く、歌手はとても苦労します。
そして、結局自分の発声しやすいポジションで歌ってしまう事が多くなります。

けれども彼は、あくまでも正確に発音することに重きをおいて歌う歌手ですね。
ですから、彼の発声ポジションがあちらへいったりこちらへいったりします。

彼の歌には、第一期と第二期という風に、大きく分けて考えられる流れがあります。
この時期は、第一期の最後であり、第二期への準備段階にあります。


私は、彼のVocal reviewを書くとき、いろいろ考えました。
皆さんに馴染みのある日本語だけにしようか…と考えたこともあります。
彼の楽曲は、日韓合わせると膨大な数になります。100曲になると彼も答えています。
その曲の中でPVなどの映像が残っているものだけでもかなりの数になります。
これを全部一つずつ書くのは、大変な作業になる…と思いました。

けれども彼の歌声を聞いて行くうち、どの時期の曲も彼にとってはとても大切な意味のある曲だという事がわかったのです。

映像と録音日時が合わないものも多く、できるだけ発売された頃の映像を捜して掲載するようにしていますが、日本の楽曲については難しいかもしれません。
「あの曲がない…」と思われることもあるかもしれませんが、日韓で発売されたSingle曲とアルバムの中で映像が残っていて重要と感じたものを中心に発売された時系列でこれからも書いていきたいと思っています。

JYJペンの方には申し訳ないけれど、JJのVocal reviewは本当に少ないです。
これだけの歌手のVocal reviewが少ないことは、やはり作為を感じる事がぬぐえません。
私は、非力ですがこれからも歌手として彼の魅力をしっかり書き綴って行きたいと考えています。

次回は、「Somebody To Love」です。

$Kim・Jaejoong Vocal Review
2011年7月4日(アメブロの旧サイトにて初掲載)



【2017年6月5日 review 追記】

昨夜、この曲を六年ぶりに聴いてみた。
実は、この曲のreviewを当時、私はどのように書いているのだろうかと内心不安だった。
でもその心配は杞憂だった。やはり、何度聴いても、いつ聴いても、基本的に感じることは一緒なんだと思ったからだ。

本文にも書いているように、この曲で彼は殆ど歌っていない。単なるバックコーラス、ハーモニーを作る一人としてのポジションでしかない。
このまま彼が韓国でだけ歌い続けていたら、間違いなく今の彼はいない。
日本語を歌うことで、身につけた発声は、韓国語の歌を歌う時でも基本的に変わらなかった。
彼が完全に韓国に戻ったあとに出した成均館のOST「君には別れ、僕には待つということ」は、日本語のポジションのままで韓国語を歌った曲で、その頃、日本でしか歌っていなかった彼の歌声がいかに日本語ポジションになっていたかを示す具体的な曲だ。

日本語のポジションのままで歌う韓国語の曲はあっても、その反対はない。
これだけ日本語曲から離れていても、日本語の曲を歌うときには、彼は見事に日本語ポジションになる。
それは、彼がどれほど日本語の歌を身体で覚えているか、という証明にもなる。
血のにじむような努力をして身につけてきた日本語の歌声を、彼の身体はどんなに年月が経っても忘れていない。
ひとたび、日本語を歌うということになれば、自然と身体が反応して、そのような歌声になる。
彼の意識が、日本語と思うだけで、身体が自然と反応してしまうのだ。

そんな歌声を日本から失ってしまうことは出来ない。

2月以降、彼の日本語に飢えている。
それでも彼がオリジナルソロ曲を日本語で歌ってくれたことで、東方神起時代の悲しい記憶に、彼の歌声が新たに上塗りされ、東方神起の曲を過去の曲として冷静に聴けるようになった。

そうでなければ、いつまでも私は彼の東方神起時代の歌を聴けなかったかもしれない。

reviewを書くことで、私自身も彼の歌声を最初から、聴き直すことが出来る。
それがとても有難い。

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